桜と私の話

私の故郷にはソメイヨシノは咲かない。
桜はみんな、濃いピンク色だし花弁が散るのでなく花托からボトッと落ちる。
それだからか、花見の文化もない。
きっと花がお弁当や盃に落ちてしまうものね。

 

私が初めてソメイヨシノを見たのは、2017年の春だ。
その時結婚を前提に同棲していた交際相手がいて、彼と三重県で暮らしていたとき。
「桜舞い散る」というフレーズを歌詞で耳にしたり
ドラマでその演出を見てもずっとその感慨深さは分からなかった。
だけど、初めて本物を目の当たりにしたとき、

「あぁ...!舞いながら散ってる!」

と深く感銘を受けたことを覚えている。
とても幽玄で儚く、柔らかで、こんなに美しい花は人生で見たことがなかった。
美しい...美しいのだけど、それを素直に綺麗な気持ちで見れない私もまた存在していた。
私は彼と同棲するにあたって、引っ越し費用も、飛行機代も、
日々の生活費から家賃光熱費一切合財を彼に出してもらっていたからだ。
生かされている。この人に連れてきてもらって、見せてもらっている。
そういう負い目があった。

自分はこの花の前に立つにはあまりにも不確実な存在だと思ったのです。

 

...その1年後の11月、私は彼の母国シンガポールから故郷へ向かう飛行機に一人乗っていた。
別れたのだ。
彼は日本国内あちこちの旅行へ連れて行ってくれた。
訪れてない県はほとんどないぐらいに。

彼なりの愛情だったと思う。
けれど、付き合って時間が経ってからも私と二人きりでいたがり、
週末の休みに私が友達と遊びに行ったり友達と彼を交えて遊ぼうとすると彼は嫌がった。
そして、私が精神的に思い詰めているとき、いつも突っぱねるように正論だけ返した。
「分かってあげられないのに"分かる"なんて言えないでしょ」、それが彼の口癖だった。
とても寂しい言葉だなと今でも思う。
そういう気質が合わなかったのだ。

久しぶりに降り立った故郷の風は潮の匂いがして、体中にベタベタと張り付いた。
そして、やはり、なんて退屈な場所なんだろうと思った。
電車でどこまでも行くことも、400円で銭湯に入ることも、
秋に紅葉することも、冬に雪が降ることも、何もない。
そして...春にソメイヨシノが舞い散らないのです。
一年中暖かくて海の綺麗な穏やかな場所だけど、
例えるならまるで、ホスピス病棟のような場所だと思った。
人生の最期の時を待つにはいいのだろうけど、
桜の美しさを知ったばかりの私には退屈すぎた。

 

そして私は決意する。
「もう一度自分の力で桜を見に行こう」と志した。
それからは中々に楽な日々ではなかった。
人生で初めての慣れない水商売をしながら、少しずつお金を貯めていった。
目標貯金額は50万。
あともうちょっとで届く...というところで、変な男と付き合ってしまう。

彼は最初の方こそ
「婚約者と同棲している時からずっと、5年間も好きだった」
「結婚しよう。そしたら毎日会える。ずっと一緒にいたい」
そう言ってくれたのに、
私を養うためと就いた正社員の会社も1ヵ月で行かなくなり、
元々あった消費者金融からの借金をどんどん膨らませて、
ご自慢の車を改造したり居酒屋で一晩に3万使うような豪遊をしながら半年近い同棲は続いた。
もちろんその時点で私の貯金は底を尽きていた。

別れる時が大変だった。
「お前さえいなければ車も壊れなかった、こんな家賃の高い家にも住まなかった、
 こんな大きな家電は買わなかった、お前に使った金、臓器売ってでも耳揃えて返せ」
という旨の主張を繰り返し、恫喝や物を投げるなどのDVまがいのことをしてきた。
結局父親が間に入ることでなんとか別れられたが。

 

前の彼との生活で満足に家事をしてあげられなかったので、
今度こそはと身の回りの世話をなんでもした。
自分の時間も、財産も、心も、全てをかけた相手だった。
それ故に、反動で茫然自失となってしまった私を父が哀れんで、
「ここにいたらまた彼がつけてきて殴られでもしたら危ないから、東京、行っておいで。」
そう言って50万を渡してくれた。

涙が出た。

父の優しさにじゃない。
今度こそ自分の力で桜の前に立つと決めたはずで、
そのためにがんばってお金を貯めていたはずなのに、
他人のつまらない横槍でそれをみすみす失くしてしまった愚かな自分が不甲斐なくて、
惨めで恥ずかしくて泣いた。

ソメイヨシノ行のチケットの入手経緯はそのような恥ずかしい物語なのだが、
そうして東京に来てからというもの、私は学も技術もないなりに一生懸命働いた。
毎月10万と日雇いで稼いだお金でなんとかやっと暮らしている。
一時昼も夜も働いていたので、その給料月は服を買うなど贅沢をしたけど。

 

 

 

そんな日々を経て、やっと、また春がやってきた。
父の援助がなければ叶わなかった夢だけれど、
私は今度こそちゃんと自分の足で桜の前に立つことができたのかなと思う。

 

 

 

そして、来年はもっともっと誇らしい気持ちで会いたいと思うのだ。