自分の性自認と性的志向についての潜考 ー 私の目は誰の目?

 

スマホから書いているのでリンクをちゃんと貼れてるか分かりませんが、

タイトルの内容を書くに至ったキッカケとなった記事を先に紹介しておきます。

 

泉信行さん】

なぜ女性Vtuberは同性が好きなのか - izumino’s note https://izumino.hatenablog.com/entry/2018/08/18/213218

 

記事で、

「男性向け恋愛作品を内面化することにより“異性愛的視点”で同性を眼差す女オタク」

という旨を読み、性自認性的志向は内面化することで書き換え得るのではないか?という仮説を思い立った。

 

男性向け恋愛作品を内面化するあまり、

“借り物としての異性愛的視点で同性を性的志向として眼差している”だけなのか、

“主体的な視点を以て同性を性的志向として眼差している”のか、

その境界が分からなくなるほどまでに内面化をしすぎた成れの果てが自分なのではないかと、思い至ったのです。

 

 

 

ここからは、私自身の性にまつわる告白になる。

生々しい話も赤裸々に書くので、

読む人も色々覚悟して読み進めて欲しい。

(後で、気持ち悪いとか、どう接して良いか分からんくなった、とか言われたらムカつくので)

 

 

 

まず、私は女性として生まれ女性として生きてきて、

今でも自分は紛れもなく女だと自認している。

しかし、私の記憶にある最も古い性衝動の初動は、

なんと女性に対するものだった。

 

当時3歳、セーラームーンのビデオを見せられていたとき、

変身シーンでセーラー戦士の裸を見て極自然に「綺麗だ」と思ったんです。

そして気付いたら、私は、母親の目を盗んでブラウン管に顔を寄せ、セーラー戦士の秘部を舐めていました。

家族の名誉のために断っておくと、私の家は母子家庭でこそあれ、

幼児に性的情報が露見してしまうような秩序なきものではなかった。

むしろ私は小学校高学年になって保健の授業を受けるまで性交について一切の知識がなかった。(それはそれでキモいけども)

だから、自分が何故セーラー戦士の秘部を舐めようと思ったのか、母親の目を盗む必要があると判断したのかは本当に分からない。

けれど、その頃からとても自然に、今思い返すに異性愛的感性で、女性の裸が魅力的だと感じ続けてきた。

 

その後、私は小学校に入学し、

すっかりいじめられっ子になってしまった。

主犯格はMちゃんという女版ジャイアンみたいなヤツで、

私の家に遊びに来たフリをして私のオモチャを奪って自宅に持って行ったりした。

その子がまた、マセガキだったんですよね。

何故か私は、りぼんやちゃおに毒された彼女の恋愛シミュレーションの相手として起用されました。

一番過激なヤツを挙げると、布団の中に2人で入り上に乗られ、何度も唇にキスをされたりしました。

しかしその時も私は全然嫌だとは思わなくて、

気持ちよくて、ずーっとしていたいなと思っていました。

イジメは嫌だけど、Mちゃんがこのまま私を好きになってくれたら私はイジメられなくなるし、

これからも沢山キスをできていいのに…と。

そんな風に思っていました。

 

時は流れ今に至り。

これまで私は男性と普通にお付き合いしてきたし、

互いに結婚を考えた相手もいた。

だが…どうも、自分の性癖がおかしい。

恥ずかしながら、自慰の際に同性との行為を想像してしまうのだ。

過去、理解のある男性に女装してもらい致したことがあるが、とても興奮したことを覚えている。

その方は細身で背が低く、どちらかといえば女性的な要素を持っていた。

今振り返ると、今までに付き合った人は1人除いてみんな細身で筋肉のない人ばかりだ。

 

話を戻すと、ぶっちゃけた話、いわゆる“オカズ”がいつも18禁百合作品になってしまうんですよ。

男女モノや、物は試しとBLモノでやってみたことがあるんですけど、

読み物として「なるほど、ハイ」と読み終えるだけで興奮できない。

長年そうだったものだから、自分は両性愛者なのかと悩みもした。

しかし、「一時期の気の迷いだよ」という世論を信じ、本気じゃないのに同性愛のコミュニティに来ないで欲しいという当事者の苦言を見る内に「自分は男性向け作品に毒されすぎただけの異性愛者だ」と結論付けたのだった。

 

 

 

そんな私にとって、泉さんと安田さんの記事は一つのトリガーとなり、自分に対してのいくつかの推論を持ちました。

 

・自分は性自認が女性で、男性向け作品から“異性愛的眼差しを内面化した”だけのヘテロである。

 

・自分は性自認が女性で、バイセクシャルである。

 

・自分は性自認が男性で、女性化願望の強いバイセクシャルである。

 

この3つのパターンが考えられると思うのです。

 

何故そう思うかというと、

私は普段思考する時、頭の中での一人称が“俺/僕”なんですね。

とても自然に、「いやでも俺が行くまでもないかな」、

という感じの独白が生まれる。それがしっくり来てしまう。

この記事であったり日常生活であったり、

“社会の目”を感じるところや“女として発言せねばならない”と思ったときに“私”を使っている。

これはおそらく、9歳から2ch掲示板に出入りしていたせいで男性的感覚の内面化をやりすぎてしまったからだと思っている。

まぁ、そこに至る前から既に、

コロコロを読んで木登りやゲームや虫捕りが好きだったことで男性的文化に親和性が高かったという下地があるんですけど。

 

全て、「今思い返せば」という話ではあるのですが、

それにしてもどのタイミングで性自認の倒錯が起きてもおかしくない文脈だなとは思うのです。

 

 

 

最後に、何故自分をバイセクシャルと認めずにここまで歳を重ねたのかを書いておきたい。

一気にクズい話になるんですけども、

生存競争の逆転カードとしての期待を結婚に持っていまして。

私は学歴も職歴もなく、なんなら発達障害グレーゾーンとか諸問題を併発して抱えていてとても一人で生きていけそうにないんですよね。

だから、いつかは結婚して非正規雇用の仕事でも生きていけるように…と思っていたから、

同性との恋愛は視野から外していました。

けど、現代はもう共働きが当たり前の時代で、男女の役割も盛んに問われる流れができています。

そこで、改めて、自分の性の有り様について再考し見定めていきたいと思うのです。

 

思考材料を与えてくださった泉氏に感謝。